※内容は私個人の体験と感想です。参考程度に読んでいただけたらうれしいです。
少し前に、職場の上司が変わりました。
接客の現場で、私はもう20年以上働いています。人を育てる側に立つことも多いです。だからでしょうか、新しい上司のことも、最初は「この人なりのやり方があるはず」と、理解しようとしていました。
でも、ある日のひと言で、それまで積み上げてきたはずの信頼が、すっと崩れていきました。
先に結論を書きますね。
この上司がよく言う「関係性ができていれば」の「関係性」は、たぶん“信頼”のことではなく、“上下”のことでした。同じ言葉を、私とは正反対の意味で使っていたんです。話が噛み合わなかったのは、そのせいでした。
そして私は、相手を変えようとするのをやめて、距離を取ることにしました。話しかけるのをできるだけやめて、働く時間も短くしました。希望シフト制のバイトだからできたことです。
ただし、これで関係がよくなったわけではありません。きれいに解決した話ではなく、「こう受け止めて、こうやり過ごしている」という、途中経過の話です。
違和感に気づいたきっかけと、パートの立場でどう受け止めたかを書いていきます。
その日、起きたこと
忙しい時間帯に、現場で必要な準備のひとつが抜けていました。本来なら、前もって確認しておくはずのことです。気づいた私が、その場でなんとか対応しました。
問題は、そのあとでした。しばらくして、また同じことが起きたんです。私は上司に「また同じことになったんですけど」と、状況を確認しました。意見をしたわけではありません。どうなっているのかを知りたかっただけです。相手が間違っていた、とも言いませんでした。恥をかかせたくなかったからです。
そのあと、別の社員が「次から迷わないように、目印を書いておいたらどうですか」と提案しました。
すると、上司から返ってきたのはこんな言葉でした。
「でも、自分が一番詳しかったら、おかしいよね。だって、来たばかりなんだから」
……来たばかり? もう着任して、1か月以上が経っていました。私はただのパートで、向こうは店を預かる立場の人なのに。
正直、頭がついていきませんでした。そしてなぜか、それまでのいろんな発言までが、ぜんぶ「そういうことだったのか」と、さかのぼってつながってしまったんです。この日を境に、私の中で何かが変わりました。
違和感の正体、その1|主語が入れ替わる
しばらく考えて、気づいたことがあります。
この上司は、いい話をするとき、主語がいつも「自分」になります。「自分は今まで、何人もの後輩を責任者に育ててきた」。
でも、うまくいかない話になると、主語が「環境」や「他人」や「関係性」に変わるんです。「来たばかりだから」「その人との関係ができていないから」。
手柄は自分、問題は周り。
たったこれだけのことなのに、人はこの一貫性のなさを、驚くほど正確に感じ取ります。私が過去の発言まで疑い始めたのは、きっとこれを本能でかぎ取ったからだと思います。
違和感の正体、その2|同じ「関係性」という言葉ですれ違う
この上司は、何かというと「関係性ができていれば、うまくいく」と言います。
私はずっと、その「関係性」を“信頼”のことだと思って聞いていました。だから話が噛み合わなくて、モヤモヤしていたんです。
でも、あるとき腑に落ちました。この人の言う「関係性」は、たぶん“信頼”ではありません。“上下”のことなんだ、と。
自分が上に立てていること。自分のほうが大きくあること。それが、この人にとっての「関係性ができている」状態なのだと思います。だから、私が「お店として、どこまでを基準にするんですか?」と仕組みの話を聞いても、「それは関係性しだい」と、人間関係の話で返ってくる。
同じ言葉を使っているのに、意味が正反対でした。これでは、いくら話してもすれ違うわけです。
ただ、これは悪意ではないと私は思っています。たぶん本人も、自分の言う「関係性」がそういう意味だとは気づいていません。気づいていないことを指摘しても、きっと伝わらない。それが、あとで書く「距離を取る」につながりました。
知らないことは、罪じゃない
誤解しないでほしいのですが、私は「上司は何でも知っているべきだ」とは思っていません。
「自分が一番詳しくなくていい」という考え方は、むしろ今の時代の正しいリーダー像でもあります。上に立つ人が全部を知っている必要はありません。詳しい人に任せて、知ったかぶりをしない。それはとても健全なことです。
知らないことは、罪じゃない。私だって、知らないことは山ほどあります。
でも、本当にフラットで信頼される上司は、「知らない」のあとに、ちゃんと学びます。「知らないから教えて」と言えるし、「なるほど、じゃあこうしよう」と動く。「知らない」を、言い訳に使いません。
知らないことではなく、知ろうとしないこと。信頼を静かに削っていくのは、いつも後者のほうでした。
ルールや理由を「伝える」ことのむずかしさは、教える側の立場からこちらにも書いています。
パートは、上司を選べない
ここが、働き続けている人ならではのしんどさだと思います。
パートの私は、上司を選べません。上司は会社が決めて、何年かごとに入れ替わります。20年以上いれば、それこそ何人もの上司の下で働いてきました。合う人もいれば、合わない人もいました。
そして、パートには決める権限がありません。基準をつくるのも、仕組みを変えるのも、最後は上司です。こちらにできるのは、「こうしたらどうですか」と伝えるところまで。
しかも、この上司のように「関係性=上下」と考える人に正論をぶつけると、内容ではなく「逆らわれた」と受け取られてしまいます。言えば言うほど、こじれていく。
それでも、シフトに入れば同じ現場に立ちます。仕事は毎回やってきます。相手を変えられないなら、変えられるのは自分の側だけでした。
20年以上の間に積み上げてきたやり方が、目の前で崩されていくように見えた時期は、正直しんどかったです。
パートの私がしたこと|話しかけるのを減らし、働く時間を短くした
正直に書くと、一時期は仕事そのものが嫌になりました。話しかけるたびにすれ違って、そのたびにモヤモヤを持ち帰る。それが続いたからです。
それで、この3か月、私がしてきたのは距離を取ることです。
相手を変えようとするのを、やめました。わかってもらおうとするのも、やめました。そして、こちらから話しかけるのを、できるだけやめました。
もうひとつ、働く時間を短くしました。同じ現場にいる時間そのものを減らしたんです。
これは、社員だったらできなかったことです。私は希望シフト制のバイトなので、どれだけ働くかを自分で決められます。上司は選べないけれど、働く時間は選べる。上司を選べないパートの、数少ない「良いところ」だと思っています。
最初は、それが逃げのような気がしていました。20年以上、人を育てる側にいたのに、上司とちゃんと向き合わないなんて、と。
でも、いまは「自分を守るための距離」だったと思っています。
距離を取っても、関係がよくなったわけではありません。でも、少なくとも、いちいち心がすり減ることは減りました。
それでも、私が崩れなかった理由
ここまで書くと、ずいぶん打ちのめされた話に聞こえるかもしれません。実際、しばらくは落ち込みました。
でも、あるとき気づいたんです。
崩れるのは、この職場の、いまの、目に見える部分だけです。
私が積み上げてきた本当のもの、たとえば人を育てる考え方や段取りを組む力、「まず、きちんと決めておく」という信条は、職場の壁に貼ってあるわけではありません。私の中にあります。
上司は、私のつくった段取りを使わないことはできても、私が段取りを組める力そのものは奪えません。
そして、私がこれまで育ててきた後輩たちの中にも、それはちゃんと残っています。ひとりの上司が放っておいたくらいで、全部が消えたりはしません。
それに、私の居場所はこの職場だけではありません。いまはシフト制の仕事を掛け持ちしていて、ブログもあります。ひとつの場所でうまくいかなくても、ほかの場所の私まで崩れるわけではない。これにはずいぶん助けられました。
20年以上いれば、上司は何人も入れ替わります。この人も、いつかまた変わるでしょう。
大事なのは、「私の積み上げたものが永遠に残るか」ではなく、「いま、意味があるか」「誰かの中に、何か残せたか」。それなら、胸を張ってイエスと言えます。
まとめ|同じようにモヤモヤしている人へ
上司と話が噛み合わない。「なんで分かってくれないんだろう」と、ひとりモヤモヤしている人へ。
- 上司の「関係性」が、信頼のことか、上下のことか。そこがずれていると、いくら話してもすれ違います
- 知らないことは罪ではありません。信頼を削るのは、知ろうとしないことのほうです
- 相手を変えるのは、いちばん疲れる道です。私は距離を取って、話しかけるのをできるだけやめ、働く時間も短くしました。関係はよくなっていませんが、心はすり減らなくなりました
- パートは上司を選べません。でも、希望シフト制なら働く時間は選べます。これは社員にはない良いところです
- 崩されるのは目に見える部分だけ。積み上げてきたものは、自分の中にあります
あなたが積み上げてきたものは、あなたの中にあります。それは、誰にも手が届きません。
かっこよく働き続けるって、たぶん、そういうことなんだと思います。崩されないものを、自分の中に持っていること。



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